音楽のある生活

日々出逢った楽曲について、自分なりの見解や、思いを実直に綴っていこうと思います。音楽の解釈には答えはなく、千差万別の見解があると思います。それはどれもその楽曲があって生まれたものですし、何より感じて出た答えは人生をより豊かなものにしてくれます。自分が大好きなBUMP OF CHICKENを始め、様々な楽曲について語りたいと思います。

sailing day(BUMP OF CHICKEN)

今回はBUMP OF CHICKENの「sailing day」です。

 

この楽曲は映画ワンピースの主題歌になっていたので、もしかしたらあまりバンプの曲をご存知ない方でも知っているかもしれません。

 

今でこそたくさんのタイアップをしていますが、確か当時のバンプはまだあまりタイアップというものをしていなかった時なので、

とても印象に残っています。

 

 

まさに冒険者への唄

個人的には「Thats BUMP OF CHICKEN」な唄です。

主人公はまさしくルフィと重なる部分がたくさんあります。(ルフィあんまり知らないんですが、、)

 

自分の信念に向かって、どんな困難も戦い切り抜ける。

そんな主人公です、

 

人生を後悔に例えた、ある種非常にストレートな表現の楽曲だと思います。

こういった表現は藤原さんのソングライティングの得意なところであり、個人的にも「らしさ」を感じる部分です。

アレンジもバンド然としたアレンジで、強いそう感のある気持ちの良い楽曲です。

 

 

疾走感のあるテンポ、でも泣ける曲

前回、「望遠のマーチ」の楽曲見解の時も少し触れましたが、この曲も「テンポが早いけど泣ける曲」に、

個人的には分類されます。

 

歌詞と曲、まさにこの楽曲全体がバッチリと一体となって表現、放っているパワーがそうさせるのだと思います。

 

誰もが自分の目的地へ全力で走っているなかで、誰かに何かを言われたり、

或いは壁にぶつかり、本当にこれで良いのか?自分の進んでいる道は正しいのか?

様々な不安に出会います。

 

そんな自分に「何言ってるんだよ。何が正しいかなんてお前が決めることだろ?」

と力強い言葉をかけてくれるのがこの曲です。

 

相談やアドバイス、意見などはどんなに良いものだとしても最終的に判断し、足を踏み出すのは自分自身です。

いくらたくさん集めたところであくまで参考にしかならず、それを基にどう判断するのかは全部自分自信です。

 

だから何をするにも行動の責任は自分に伴いますし、それを誰かに委ねることは出来ません。

 

こんな言い方をするとネガティブに聞こえるかもしれませんが、

それは逆に言えば、全ては自分自身が判断できること。

何を言われたところで正解 / 不正解は自分が判断できるんです。

 

 

十人十色の目的地

人はそれぞれ異なる目的地を目指しています。

その中で何をどう判断し生きていくのか、それは自分が決めることです。

 

>誰もがみんな それぞれの船を出す

 

人はみんな違います

生き方だって、困難の乗り越え方だって人それぞれです。

それに対して劣等感なんて持つ必要はないと思います。

 

「あの子はあんなに上手く生きることができているのにどうして僕は、、、」

なんて思う必要はありません。

 

自分も生きるのが下手です。

人に迷惑ばかりかけているし、何も上手くできないし。

ずっとずっと何もないと思っていました。

今も思ってます。

 

でもやるしかないんだな、不器用でもきっとそれが自分なんだから。

そうやって生きていくしかないんだろうな。

いや、生きていこう。

 

そう決心することができました。

そんなパワーをこの曲からもらいました。

 

「よく考えて行動しろ」

「後先考えて行動しろ」

 

そんなことを昔から大人に言われ続けてきていましたが、

時には勢いに任せて行動することも、自分の殻を破るには必要なことなんだな。

そんなことを学ばせてくれた曲でした。

望遠のマーチ(BUMP OF CHICKEN)

今回はBUMP OF CHICKENの「望遠のマーチ」について書きます。

 

こちらの曲、実は久しぶりに大きく揺さぶられた曲です。

もちろんずっとBUMP OF  CHICKENのことは好きだったのですが、アルバム「ユグドラシル」以降は割と彼らの中で実験的な段階に入っていたのではないかと感じました。

サウンド的にも詩的にも大きな変換機にあった気がします。

そしてたどり着いた場所。

 

今回はそんな曲について話させて下さい。

 

 

大人にこそ聴いて欲しい曲

この曲は妖怪ウォッチのアプリゲームのCMソングになっていました。

故にどうしても「子供向け」というイメージがつきまといがちです。

 

ですが初めてフルで聴いた時に大人にこそ響く曲だなと思いました。

 

小学生の頃、毎日が待ち遠しくて、たくさん走って(あるいはゲームでもなんでも)友達と何も気にせず遊んでいた日々。

そんなことを思い出して、とても胸が苦しくなり、自然と涙が浮かんでしまう。

そう感じました。

 

冒頭に話したように、僕ら(聴き手)はもちろん、彼らの中でも年月を重ねる度に発信しているメッセージも視点や角度が変わってきています。

昔は若さ故の強さやいい意味での攻撃性、負けるかという踏ん張るような力強さが全面的に出ていたような気がします。

 

しかし最近の楽曲では、たくさんの悩みや辛いこと、悲しみや怒り、それらを乗り越えてたどり着いた大人の優しさを感じることが出来ます。

まさしく今の彼らにしか書けない曲だと思います。

 

昔から変わらず彼らは「今」という言葉を大切にしていた様に感じます。

それを体現するかの様に常に「今」に全力で向き合っています。

誰にでも辛いことや悲しいこと、不安なことなどあります。

でもそれと同時に嬉しいこと楽しいこともたくさんあります。

 

子供の頃は些細なことでもそう思えていたのが、大人になると様々なことを経験したが故に頻度は少なくなります。

ですがその分一つ一つの大きさは大きくなっていく気がします。

 

この曲はそんな「大人」になってしまった僕たちにこそ響き渡る曲だと思います。

 

 

軽快なリズムの泣ける曲

冒頭でもお話ししましたが、この曲を聴いた際に僕は自然と涙が流れていました。

しかし聴いていただくとお分かりの通り、とても軽快なリズムで走っていく曲です。

この感覚が僕は彼らの真骨頂だと思っています。

 

sailing day」というBUMP OF CHICKENの曲があるのですが、

それについても僕は同じ感覚を抱きます。

 

BPMの速い曲でも泣けるんです。

正確には「泣きながらがむしゃらに叫びたい曲」そんな感じです(わかりますか・・?w

 

あっけらかんとただ明るくなっているわけではなく、何度も夜を迎えてきた人が歌う言葉です。

そんな言葉だからこそ響く言葉なんだと思います。

 

そもそもですが個人的には「泣かせにかかった曲」は苦手です。

そうではなく本当に心からぽろっと溢れてきた様な、、、そんな曲が好きなんです。

なので無難な言葉ではなく、時には厳しい言葉になることもあるかもしれない。

それでもそれはきっと純然たるその人の言葉なので、自然と受け入れることが出来るのかもしれません。

 

 

頑張らなくても良いよ

与えられた居場所が苦しかったら

そんなの疑ったってかまわないんだ

この歌詞はたくさんの人に届いて欲しい歌詞です。

 

「頑張りすぎ」という言葉は最近の世間ではよく聞かれます。

人生において頑張るということは確かに必要なことです。そういうタイミングはたくさんやってきます。

でもいつしか「がんばれがんばれ」と言われ続けて、それがただの「我慢」になっていることも多いのではないかと思います。

 

実は自分もそのタイプでした。

「がんばれがんばれ」と言われ続け、「ああ、自分は頑張りが足りてないんだ」って思い、結果何もしたくなくなってしまいました。

度が過ぎるとそれは鬱という病気となって襲ってきます。

 

今自分の周りの環境が必ずしも正しいとは限りません。

もし辛いのであればその環境は疑ったって構わないんです。

 

変な固定概念は捨てて、ちゃんと自分の心に素直になってみると何かが変わるかもしれません。

 

自己中心的なそれは良くないことではあります。

しかし、自己を捨てすぎて自分を失ってしまうのだってとても辛いことです。

よっぽどのことでない限り辛いことを頑張り続けなくてはいけないことはないと思います。

 

この曲はこれからを担う子供達にも多く触れる楽曲であるが故に、

そんなメッセージ性を感じる様な、そんな楽曲です。

ダンデライオン(BUMP OF CHICKEN)

今回はBUMP OF CHICKENの「ダンデライオン」です。

 

藤原さんの書く歌詞には動物が主人公になる楽曲がいくつかあります。

そういった類の曲ではいつもの心に踏み込んでくる歌詞、、、というよりは、お母さんが読んでくれる童話の世界のような、、、そんな伝わり方がしてくる楽曲が多いです。

 

今回の「ダンデライオン」もそういった曲になっています。

 

孤独な獣王

主人公は百獣の王、ライオン。

この曲はライオン視点で描かれています。

曲自体はカントリー調で、とても明るい雰囲気で進んでいきます。しかし、とても孤独なライオンの歌詞です。

まずこのギャップに僕の心は一瞬で奪われました。

 

個人的にですが、悲しい歌詞を寂しげなメロディーで歌われるよりも、悲しい歌詞を明るめなメロディーで歌い上げられると泣いてしまいます、、、

(ちゃんとその曲の持つキャラクターがぴったりあっていればですが、、、)

 

この曲を聴いていると大人になった時に絵本を読んだ時の感覚に似ています。

とても純粋無垢な世界が語られていて、いつの間にか忘れてしまったような感覚が不思議と蘇ります。

 

難しい言葉や、突き刺さる言葉が出てくるような楽曲ではありません。

しかし、何か響くものがあります。

 

前回書きましたが、藤原さんは「言葉にできない何かを伝えるために曲を作る」と言っていたことがあります。

 

この曲はまさにそれの真骨頂とも言える楽曲ではないかと思います。

 

 

とても温かい物語

こちらの楽曲は人それぞれの見解というよりは、本当に物語を読む感じです。

そしてこの物語がとても悲しいけれど、とても心温まるストーリーなんです。

 

寂しがるライオンが自分の姿に似たタンポポと出会い、初めて友情にも恋にも似た感情を抱きます。

ライオンは自分の子の姿を見て怖がらないやつは初めてだと、とても嬉しくなります。

それからタンポポとともに過ごすうちに、ライオンは事故で瀕死の状態に陥ってしまいます。

「自分は死ぬんだ」そんなことを思いました。

しかしあいつを泣かせるものか。

ライオンは最後の力を振り絞って、元気な声を吠えます。

タンポポに届くようにと。

 

ライオンはそこで息絶えてしまいますが、

その後、ライオンが落ちた谷底には、たくさんのタンポポの花が咲きました。

 

ライオンは実はとても心優しかったのですが、見た目のせいで怖がられ、誰とも仲良くせず生きてきました。

ライオンのセリフで

お前のような姿になれれば愛してもらえるかな

 本当はみんなに愛して欲しかった。

でも自分みたいな姿ではみんなに愛してはもらえない。

そう思っていたのでしょう。

 

この楽曲は物語を読むだけ、、、そう言った類の発言を先ほどしましたが、ここの文章はかなり僕らにも重なるところのある詩ではないかと思います。

 

誰かを羨んだところでその人になれるわけではありません。

ですが、自分がどう思っていようが、自分のことを愛してくれる人は必ずいるはずです。

 

ライオンにとってタンポポはそういう存在だったのではないでしょうか?

 

 

自分自身がどう思うかで変わる景色

しかしタンポポは言葉も話さなければ、表情を浮かべるわけでもありません。

つまり全てはライオンの思い込みとも言えます。

 

しかしそれでもライオンは幸せそうに見えませんか?

僕は見えます。

 

人々はよく神様に祈りを捧げます。

しかし誰も神様を見たことはありません。

それでも良いことがあれば神に感謝し、悪いことがあれば神に助けを求めます。

 

すがる事のできる何かがあれば、きっと救われる人はいるんだと思います。

たとえそれがなんであれ、本人が幸せであれば、それを他人がとやかく言えるはずがありません。

 

ライオンは最後の時を温かい涙で迎えます。

 

それは今まで一人ぼっちで生きてきたライオンが、初めて出来た友達に感謝し、そして幸せだったからこその涙だったのではないかと思います。

ギルド(BUMP OF CHICKEN)

こんにちわ。

 

今回はBUMP OF CHICKENの「ギルド」についてお話しします。

 

「ギルド」という言葉の意味を調べてみると、「同業者組合」となっています。

つまり同じ仕事を生業としている人間同士の団体のことですかね。

 

この曲もまたファンの間では人気のある楽曲です。

 

美しくも残酷な世界

この曲はメロディがとても美しく、アレンジもとても洗練された楽曲です。

しかし、歌詞はとても鋭く尖っている印象を受けます。

聴く人によっては考え込んでしまうような、非常に心に踏み込んでくるような歌詞になっています。

 

一種の諦めというか、、、全てを受け入れて、それでも生きていかなければいけないんだよ?

それを同情などのような感情は抜きで、ただただ淡々と事実だけを突きつけられている。そういう印象を受けました。

 

まさしく「美しくも残酷な世界」

そんな世界を表現している曲だと思います。

 

ただし、突きつけている対象は、自分自身です。

決してリスナーに対して全てをなすりつけるような感じではなく、あくまで「自己経験」を通した語り口調です。

なのでそれがさらに聴く人の心に染み渡ります。

 

音楽は受取手によって、印象は変わります。

この曲はまさに人によっては「敵」ともなりえるし、「味方」にもなりえるような、そんな人間味あふれる楽曲なのではないかと思います。

 

そんな生々しい作品だからこそ、ここまで心が揺さぶられるんだと思います。

 

 

日々生きるということ

あなたにとって日常生活とはどんなものでしょうか?

良いことも悪いこともあり、感情の起伏もあり。良いと思う日もあれば悪いと思う日もあるでしょう。

ただそれが自分が起こしたことか、誰か(何か)によって引き起こされたものかによって満足感や実感は全然違うと思います。

 

自分でどうにかしようとせず、ただ巻き起こったことに対してリアクションだけとって生きる。

それは「仕事」となんら変わりない、つまらない生活になり得ませんか。

僕はこの詩を通じて、改めてそんなことを考えました。

 

主人公はすでに「人間」という「仕事」をクビになっています。

つまり人間ではない。

「自分で考えて生きる」ことを放棄した人、それはもう人間をクビになったと言っても良いのではないでしょうか?

 

人生においての取捨選択は自分で行うものです。誰かに任せることはできません。

 

僕が常々思うのは、相談事などをすることは当然としてあると思いますが、最後に何を選ぶかは自分以外いないんです。

 

結果がどうであれ、決断は自分自身がしたもの、生きにくいと思っているこの世界もあなたが選んできた道なんだと、、、そんなことを考えてしまう歌詞です。

 

 

潔白な人なんていない

僕たちは常に何かを奪って生きています。

それは無意識的にでも何かを奪いながら生きています。

 

それによって誰かを責めることは出来ないし、逆に自分を責めることもないです。

結局のところ同じ穴のムジナ、潔白な人なんていません。

 

そして人によって左右されるような世界ではないです。

僕自身が判断し、愛し、何かを奪いながら(頂きながら)生きているのが、この世界です。

自分は醜いと思ってても他人はそう思っていないこともたくさんあります。

 

もしかしたら自分は悲劇の主人公を気取ってるのではないか。。。

そう思いました。

 

本当は恵まれているのに、かわいそうなふりをして、それを演じている。

そんなことを生物学的に、無意識にしているのかもしれない。

そう思わざるを得ませんでした。

 

誰かのせいにするのはとても簡単です。

自分のことを受け入れるのはそれはそれはとても大変なことです。

 

聴く人が聴いたらとても辛く聞こえる曲。

それは化けの皮が剥がされて、心が裸の状態にされてしまう。

 

そんな恐怖心すら抱かせるような、とてもとても美しく、そして残酷な作品だと思います。

ロストマン(BUMP OF CHICKEN)

さて今回はBUMP OF CHICKENの「ロストマン」です。

 

この曲はミスチルの桜井さんがボーカルを務めるBankbandにもカバーされ、方々から名曲と名高い楽曲です。

 

まさしく藤原ワールドが凝縮された、BUMP OF CHICKENらしさが詰まった楽曲ではないでしょうか。

この名曲について、今回はお話しさせていただきます。

 

「決別」の唄

表面だけのなぞれば失恋した男の唄。

しかし見る人が見れば「何か」に対して決別を告げ、新たな一歩を踏み出す男の唄です。

もちろんその「何か」に恋人を当てはめることも良いと思います。

 

ただ前回もお話ししたように藤原さんは非常に「比喩表現」を多用します。

(その理由はまたいずれ詳しく話せたらと思っていますが、簡単にいうと言葉に出来ない思いなどを表現するのが音楽と位置付けていて、それを表現するために何かに例えているとのことです。)

 

ですので今回もそのまま受け取るというよりは、一歩踏み込んで聞いてみるとまた違った印象を受けます。

 

ちなみに僕は「夢」を想像しました。

失ったのは夢。

それを自分から手放したのかどうかはわかりませんが、

思い描いていた目的地とはかけ離れてしまった今、そしてもう取り戻せないであろう「夢」に対して力強く決別を誓った唄に、僕は聴こえます。

 

迷子って気づいていたって 気づかないフリをした

 「もう自分は大丈夫」そうやって大丈夫じゃない自分に言い聞かせて、何かを諦めた、、、そんな男の登場で、この物語は始まります。

 

 

 

今、過去、そして未来

藤原さんの詩には常々「今」という言葉が出てきます。

「今」をとても大切に、尊いものとして考えているのでしょう。

僕らが生きているのは「今」であり、「今」はいつか「過去」になる。

そして「今」でとった行動はいずれ「未来」での自分になる。

 

これが僕の望んだ世界だ そして今も歩き続ける

 主人公が途方に暮れているこの世界、それは自分が望んだ世界なんだ、、、そう言っているように聞こえます。

 

自分の身に悪いことが降りかかれば、それを何かのせいにしたくなります。

しかし振り返ってみればそれは「過去」の自分が起こした行動により作られた「未来」。

つまり「過去」の自分が「望んだ」世界だと表現しています。

 

かなり強めの言葉だなと、、最初はそう感じました。

「今辛いのはお前のせいだろ?」そう言われている気がしました。

 

もちろんそれは思い当たる節があるからそう思うんだと思います。

しかし聞く人が聴けばそれはとても鋭く突き刺さる言葉でした。

 

主人公はそんな思い、気づきを受け入れ、それでも歩いていくことを決めたんです。

 

 

君を失ったこの世界を愛せたときは会いに行くよ

ここが出発点踏み出す足はいつだって始めの一歩

 ここまでロックな歌詞があるのか、そういう衝撃を受けた記憶がある歌詞です。

 

主人公は最後に全てを受け入れ、生きていく決断をします。

過去の自分の影には別れを告げ、新たに決めたスタートラインから新しい一歩を踏み出します。

 

一つ壁を超えた勇者の話のように聞こえますが、こんなに日常に寄り添う歌詞があるのか、、、、初めて聴いた時は涙が出たのを覚えています。

 

全てを受け入れる。。。それはとても悲しく、切なく、辛く、、、とても簡単なことではありません。

これまで選んできた道のりは全て間違いだったのか、、、、そんなことを考えるとこの世界も嫌いになるでしょう。

 

君を失ったこの世界を愛せたときは会いに行くよ

しかし主人公はこう唄っています。

 

「簡単に受け入れられなくていいよ、それが普通なんだよ」

「ゆっくりでもいいから、また会いに行こうよ」

そんな言葉がたくさん浮かびました。

 

誰もが小さい頃に思い描いた未来にたどり着くとは限りません。

むしろ辿り着ける人の方が少ないと思います。

 

そんな世界は好きじゃないかもしれないけれど、少しでも好きになれたらあの頃の自分に会いに行こう。

 

そんなことを考えると、楽曲が終わる頃にはまた一歩を踏み出す勇気をくれる。

ロストマンという楽曲にはそんな力があるんだと思います。

ガラスのブルース(BUMP OF CHICKEN)

初めまして、ユッチェと申します。

 

記念すべき第一回目は「BUMP OF CHICKEN」の「ガラスのブルース」です。

ファンには言わずとも知れた名曲で、インディーズアルバム「FLAME VEIN」の1曲目に収録されています。

 

ライブではよくアンコールに演奏したりしますね。

今回はこの曲について語りたいと思います。

 

「生」ということについて

主役はネコです。

このネコちゃんは「ニコル」という名前で、今となってはグッズのぬいぐるみとしてファンに愛されています。

 

そんなニコルですが、結論から言うと楽曲の中で死んでしまいます。

その「死」があるが故に、そこに行き着くまでの物語の中の圧倒的な「生」の存在を感じます。

この唄はニコルの一生の物語なのです。

 

全ての楽曲を手がける藤原さんの作品は、最初は何気ない日常の世界観が、最終的には宇宙規模の壮大な物語になっている。

そんなイメージを僕は持っています。

そしてそれが最大の魅力であり、自分も好きなところでもあります。

 

しかしこの楽曲に関しては最初から最後まで歯を食いしばるような、、、一貫して戦っているような印象を受けます。

 

何と戦っているのか?

それは「生きること」だと思います。

 

昨日よりマシな飯が食えたなら

今日はいい日だったと

空を見上げて 笑い飛ばしてやる

 

生きるということはとても大変です。

個人的には犬よりもネコの方が圧倒的に野良のイメージが強いのですが、そんなネコのように、今日大丈夫だったように、明日が大丈夫な保証はない。

瞬間瞬間を大切に生きよう。

そんな熱い情熱を、この歌からは感じられます。

 

 

若さ故の情熱

歌詞というのは写真を撮るカメラのように、その瞬間瞬間の作者の気持ちや感情が反映されます。

この曲も若い頃藤原さんが少しずつ書いていって完成させたというだけあって、若さ故の情熱のようなものを感じずにはいられません。

 

若さ特有のある種の攻撃性のようなものを感じます。

 

それは誰かを傷つけたり、貶めたりするものではなく、「負けるか」という抗う気持ちです。

歳をとるたびにそういった感情が湧いてくる瞬間はめっきり減ってしまったと思います。(現在34歳の私です。。。)

 

そういった情熱は日々を生き抜くための推進力になりますよね。

 

冒頭に少しお話しした「歯を食いしばって戦っている」ような強さ。

それはまさしく怒りにも似た、そんな情熱の強さを感じられるからこその印象なんだと思います。

 

 

「生」と「死」について

最初にも書いた通り、最後にニコルは命を燃やし尽くしてしまいます。

 

しかしニコルの歌った唄はいろんな人に歌い継がれ、その存在は決して忘れられることはない。

そしてその唄は人々に意味を与え、大げさではないにせよ、人の人生に寄り添うような歌になる。

歌詞はそんな終わりを迎えます。

 

この最後の歌詞部分は、藤原さんの素直な言葉なのではないかと思います。

 

藤原さんは昔から「実感したことじゃないとリアルなことが書けない」というようなことを言っていました。

 

つまり、日常生活で感じた何気ないことが彼の歌になっているのです。

そして、それは特別な何かではなく、誰にでも起こり得るようなこと。

それに対する思いが歌になっているからこそ、たくさんの人に共感をされているのではないかと思います。

 

比喩表現が多いため、わかりにくいというかたもいらっしゃるようですが、僕はそこが藤原ワールドの真骨頂だと思うため、是非とも変わらずにいてほしい部分だと思います。

 

少し話が逸れましたが、、、

つまり、ニコルの歌うこの「唄」は藤原さんの作る歌であり、藤原さんはニコルを自分に置き換えて言葉にしたのではないかと思います。

 

 

最後に

ガラスのブルース」インディーズアルバムの一曲目ということもあり、実質BUMP OF CHICKENの最初の曲を言っても良いと思います。(その前に様々な曲はあったとは思いますが。。。)

 

しかし、言わんとしていること、言っていることは何一つ今も変わっていません。

言葉選びや音の鳴らし方などは変わっていく部分はあるかもしれませんが、根底の部分はブレずに一貫しています。

 

そして、この物語のニコルのように、BUMP OF CHICKENはたくさんの人の人生に寄り添う楽曲を提供し、今もなお人々に唄を残してくれています。

 

ガラスのブルースの最後の一節に

 

だけどオマエのそのブルースは 皆の心の中に刻まれた

これからツライ事がもしあったなら 皆は歌いだす

ガラスの眼をもつ猫を思い出して 空を見上げてガラスのブルース

 

あぁ僕いつも精いっぱい歌を唄う

あぁ僕はいつも力強く生きているよ

あぁボクの前にくらやみがたちこめても

あぁボクはイマを精いっぱい歌を唄う

 という部分があります。

 

藤原さんはきっとニコルの一番最初のファンだったのかもしれません。

そしてニコルは、きっと藤原さんの中で生き続けているのだと思います。

 

ニコルが歌った「唄」は藤原さんを通して世界中の人の歌になりました。