ガラスのブルース(BUMP OF CHICKEN)
初めまして、ユッチェと申します。
記念すべき第一回目は「BUMP OF CHICKEN」の「ガラスのブルース」です。
ファンには言わずとも知れた名曲で、インディーズアルバム「FLAME VEIN」の1曲目に収録されています。
ライブではよくアンコールに演奏したりしますね。
今回はこの曲について語りたいと思います。
「生」ということについて
主役はネコです。
このネコちゃんは「ニコル」という名前で、今となってはグッズのぬいぐるみとしてファンに愛されています。
そんなニコルですが、結論から言うと楽曲の中で死んでしまいます。
その「死」があるが故に、そこに行き着くまでの物語の中の圧倒的な「生」の存在を感じます。
この唄はニコルの一生の物語なのです。
全ての楽曲を手がける藤原さんの作品は、最初は何気ない日常の世界観が、最終的には宇宙規模の壮大な物語になっている。
そんなイメージを僕は持っています。
そしてそれが最大の魅力であり、自分も好きなところでもあります。
しかしこの楽曲に関しては最初から最後まで歯を食いしばるような、、、一貫して戦っているような印象を受けます。
何と戦っているのか?
それは「生きること」だと思います。
昨日よりマシな飯が食えたなら
今日はいい日だったと
空を見上げて 笑い飛ばしてやる
生きるということはとても大変です。
個人的には犬よりもネコの方が圧倒的に野良のイメージが強いのですが、そんなネコのように、今日大丈夫だったように、明日が大丈夫な保証はない。
瞬間瞬間を大切に生きよう。
そんな熱い情熱を、この歌からは感じられます。
若さ故の情熱
歌詞というのは写真を撮るカメラのように、その瞬間瞬間の作者の気持ちや感情が反映されます。
この曲も若い頃藤原さんが少しずつ書いていって完成させたというだけあって、若さ故の情熱のようなものを感じずにはいられません。
若さ特有のある種の攻撃性のようなものを感じます。
それは誰かを傷つけたり、貶めたりするものではなく、「負けるか」という抗う気持ちです。
歳をとるたびにそういった感情が湧いてくる瞬間はめっきり減ってしまったと思います。(現在34歳の私です。。。)
そういった情熱は日々を生き抜くための推進力になりますよね。
冒頭に少しお話しした「歯を食いしばって戦っている」ような強さ。
それはまさしく怒りにも似た、そんな情熱の強さを感じられるからこその印象なんだと思います。
「生」と「死」について
最初にも書いた通り、最後にニコルは命を燃やし尽くしてしまいます。
しかしニコルの歌った唄はいろんな人に歌い継がれ、その存在は決して忘れられることはない。
そしてその唄は人々に意味を与え、大げさではないにせよ、人の人生に寄り添うような歌になる。
歌詞はそんな終わりを迎えます。
この最後の歌詞部分は、藤原さんの素直な言葉なのではないかと思います。
藤原さんは昔から「実感したことじゃないとリアルなことが書けない」というようなことを言っていました。
つまり、日常生活で感じた何気ないことが彼の歌になっているのです。
そして、それは特別な何かではなく、誰にでも起こり得るようなこと。
それに対する思いが歌になっているからこそ、たくさんの人に共感をされているのではないかと思います。
比喩表現が多いため、わかりにくいというかたもいらっしゃるようですが、僕はそこが藤原ワールドの真骨頂だと思うため、是非とも変わらずにいてほしい部分だと思います。
少し話が逸れましたが、、、
つまり、ニコルの歌うこの「唄」は藤原さんの作る歌であり、藤原さんはニコルを自分に置き換えて言葉にしたのではないかと思います。
最後に
「ガラスのブルース」インディーズアルバムの一曲目ということもあり、実質BUMP OF CHICKENの最初の曲を言っても良いと思います。(その前に様々な曲はあったとは思いますが。。。)
しかし、言わんとしていること、言っていることは何一つ今も変わっていません。
言葉選びや音の鳴らし方などは変わっていく部分はあるかもしれませんが、根底の部分はブレずに一貫しています。
そして、この物語のニコルのように、BUMP OF CHICKENはたくさんの人の人生に寄り添う楽曲を提供し、今もなお人々に唄を残してくれています。
ガラスのブルースの最後の一節に
あぁ僕いつも精いっぱい歌を唄う
あぁ僕はいつも力強く生きているよ
あぁボクの前にくらやみがたちこめても
あぁボクはイマを精いっぱい歌を唄う
という部分があります。
藤原さんはきっとニコルの一番最初のファンだったのかもしれません。
そしてニコルは、きっと藤原さんの中で生き続けているのだと思います。
ニコルが歌った「唄」は藤原さんを通して世界中の人の歌になりました。